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「断片的回顧録ふたたび」

ここに書き起こしておかないと忘れてしまいそうな、日々の可笑しみにと哀しみにとその間のこと全部

5月5日

J-WAVE「BEFORE DAWN」という番組のナビゲーターになってしまった。今日が三回目の収録だった。
週刊連載のエッセイの仕事だけでも四苦八苦なのに、週一、ラジオで話す仕事も始めてしまった。ラジオの収録が終わると異様に腹が減る。ものすごいカロリーを消費しているのがわかる。リスナーの方々からくるメールを読むのは、本当にその場ですぐ状態なので、あんなこと言わなければよかった、みたいなことを帰りしなよく思う。「前半、東京について20分くらい自由に話してください。後半はリスナーからのメールに答えていただければ結構です!」ディレクターのS さんはとんでもなく良い人だが、要求することはとんでもなくハードルが高い。深夜、なんとか収録が終わって、また失われたカロリーを求めてラーメン屋に入り、ラーメン、半チャーハン。瓶ビールを飲みながら、しくじった箇所を一人反省。

5月11日

「これはストレスですね」西新宿にある皮膚科の先生に、眉毛があった箇所をまじまじと見られながら言われた。僕はいま、両眉毛まったくない。「円形脱毛症だね」とカルテを書きながら先生は言う。眉毛も円形脱毛症ってあるんだ、と思った。まだ詳細はいえない小説のプロットがまったく進んでいなかった。さらにHuluで自分が原作を書いたドラマが、もうすぐ配信予定で超絶緊張していた。そして週刊連載のエッセイもだんだんとストックがなくなってきている。空手バカ一代で主人公が修行のために山ごもりをする回がある。眉毛を自分で半分剃って、わざとみっともない姿になって、山を降りて人里に行かないようにするという描写があった。空手バカ一代でも片方の眉毛だったのに。ストイック過ぎるだろ自分と嘆いている。打ち合わせで会う編集者が、過去眉毛があった場所を見て、別に何も見てません的な感じを出すので「両眉毛、抜けています」と自己申告することにしている。生きづらいここに極まり。

5月19日

Hulu「あなたに聴かせたい歌があるんだ」の配信前日。日本橋三井ホールで完成試写会が開かれた。成田凌さん、藤原季節さん、伊藤沙莉さん、前田敦子さんをはじめとした豪華出演者の方々の登壇もあり、報道陣の数は三十人近くいた。「ちょっとそこ、どいてもらっていい?」どこかの社のカメラマンさんから、会場に一歩入って見渡したところで、思いっきり注意をされ、出鼻を挫かれた。それにしても、制作会社からの登壇の誘いを断って本当に良かった。あんなに華やかな場所に出て行ったら、スポットライトの光の強さに溶けてしまいそうだ。バックヤードで成田凌さんと雑談をしたとき、まったくもって平常心だった彼に驚いた。本当にすごい仕事ですね、と返答に困ることを思わず言ってしまい、本当に返答に困っていた。申し訳ない。

5月20日

Huluのドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」配信開始。
思えば四年とちょっと前、萩原監督とこの企画をスタートして、やっとこの日を迎えることができた。長かった。本当に長かった。試写室で萩原監督にお会いしたとき、口が滑って「あっという間でしたね」と言ってしまったが、これは絶対相当長い期間だった。全8話通して観て、親バカみたいなことをいってしまうが、本当に素晴らしいものになったと思っている。早速、レビューがついていたので読んでみたら、「まずまずだった」みたいなことが書き込まれていた。四年とちょっとを費やして、「まずまずだった」で片付けられる仕事に就いている。世の中は厳しい。そして世知辛い。夕飯、リンガーハットで野菜たっぷりちゃんぽんと餃子三つを頼むと、店員さんから、「Hulu観ましたよ。最高っす」とコソッと言われた。人生は悲喜こもごも。それでも日々はつづく。

5月22日

小説の原稿は相変わらず出来てない。インタビューの原稿に鉛筆を入れる作業すらまだだ。それよりなにより、忙しいといって会食を断り、打ち合わせを先送りにし、皮膚科すらサボってしまっている。そういう状態なので非常に言いづらいが、いま愛媛県松山市にいる。松山のドトールでこの文章を打ち込んでいる。愛媛になにかゆかりがあったわけじゃない。思い入れもない。ただふらっと来てしまった。陶器を作っている窯元をまわって、この旅に意味を見出そうとしたが、どこもかしこも閉まっていて、途方に暮れて結局、ドトールで豆乳ラテを飲んでいる。眉毛はないのでニット帽を被っているが、さすがに暑い。知り合いがいるわけでもない。知らない土地だし、眉毛なしで歩くかとニット帽を脱いで、ドトールのトイレで久しぶりに鏡で自分の顔をまじまじと見て驚いた。円形脱毛症が頭にも出来ていた。満身創痍なのだ。神様が休みなさいと言っているんだと思った。いや、神様ちょっとタオル入れるの遅いっすよ!とも真剣に思った。「今日、どんな具合ですか?」とデザイナーさんから連絡があった。渋谷で今日、待ち合わせをしていたことを松山市駅前のドトールで思い出した。手遅れだ。ここは黙ってやり過ごそう。今日の夕方便で東京に帰る予定。

5月24日

信じられないことにまだ松山にいる。ドトールでこれを打ち込んでいる(またか)。一度サボると長くなるのが、自分の昔からの癖だ(知るか)。狭い路地を入ると「ホスト募集!」という元気な看板がデカデカと掲げてある。スナックやキャバクラ、ホスト店などがドドドンと並んでいる道に迷い込んでしまった。エメラルドグリーンのアパートとマンションの間くらいの建物があった。コーポってやつだろうか。あそこに住んだら、また違った人生があるんだろうなあ(そりゃそうだろうよ)。明日、夕方便で今度こそ帰ろうと思っている。

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ライター紹介

燃え殻
テレビ美術制作会社企画、小説家、エッセイスト
1973年神奈川県横浜市生まれ。都内のテレビ美術制作会社で企画デザインを担当。2017年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説デビュー。
2021年3月、書籍『夢に迷って、タクシーを呼んだ』刊行。

【Twitter】 : @Pirate_Radio_
【Instagram】 : @_pirate_radio_
熊谷菜生
タイトルデザイン
岩手県出身。グラフィックデザイナー。主に広告や書籍のAD、デザインなど。
『相談の森』『すべて忘れてしまうから』『夢に迷ってタクシーを呼んだ』(著者:燃え殻)の装丁を担当しています。

【Twitter】:@nao_qm
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