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真魚 八重子「映画でくつろぐ夜」

真魚八重子「映画でくつろぐ夜。」 第11夜

Netflixにアマプラ、WOWOWに金ロー、YouTube。
映画を見ながら過ごす夜に憧れるけど、選択肢が多すぎて選んでいるだけで疲れちゃう。
そんなあなたにお届けする予告編だけでグッと来る映画。ぐっと来たら週末に本編を楽しむもよし、見ないままシェアするもよし。
そんな襟を正さなくても満足できる映画ライフを「キネマ旬報」や「映画秘宝」のライター真魚八重子が提案します。

■■本日の作品■■
『めまい』(58年)
『顔』(00年)

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

別人になりたい願望と映画

昔から別人になりたい願望がある。まあ、転生もいいのだが、そこまで贅沢は言わない。もっと簡単にいまの人生とは別に、違う人間に成りすまして生きるのはどんなものだろうと想像することが、たびたびあるという話だ。今の人生に満足していないわけじゃない。ささやかながら、過不足のない日々を送れていて十分ありがたい。でも、たまには違う時間を送り、見慣れぬ風景の中で暮らしてみたい気分は湧く。

散歩をしていても、おんぼろのアパートが目に入ると、どのくらいヤバい物件なら住むのを我慢できるか想像してしまう。ゴキブリが出るのは当たり前なんだろうが、見かけたら絶叫してしまうくらい苦手なのでダメだ。騒音は生活音程度なら我慢できるかもしれない。隣の人の気配を調べ、同じ生活サイクルにして、寝る時間帯を勝手に一緒にするとか。

でもきっと我慢するのはつらい。清貧に甘んじるのはやはり難しいだろうから、もっと頑丈なメンタルに生まれたかったと残念になる。安い物件ではクセの強い人が多くて、住人同士のトラブルが発生しやすいといった話も聞くので、勝手にちょっとおかしい隣人に絡まれる状況を思い描いて、無駄に怖く暗い気分になったりもする。

旅行に行っても、寂れた観光名所へ行くたびに「もし犯罪に及んでしまって逃亡し、こういった施設に流れ着いて、名前を偽って働くとしたら」というシチュエーションを考える。嘘みたいだが、本当に旅行中に一回は絶対に思い巡らしている。そういった映画をよく観てきたせいだろうけれど、面接ではやはり身分証を提示しなきゃいけないんだよな、そしたら雇用ってそうそう簡単じゃないよな、と真剣に考えてしまう。旅行中なのに。

テレビの旅行番組を見ていて、ある時ハッとしてしまった。(もし観光地だからとテレビの取材が来て写ってしまったら、顔がバレる……!)。カメラが来たとたん、急に受付の席を立ってやり過ごすのは可能だろうかとか、そんなことまで咄嗟に考えてしまった。逃亡の理由には自分が罪を犯すだけじゃなくて、夜逃げとか、犯罪現場を見てしまって追手から姿をくらましているとか、色々ケースはあると思うし、なんにせよ不意のテレビ取材は怖いなと不安になってしまうのだった。

OLさんで週一や月一などで、バーで働いている人に時々出会う。つい理由を尋ねるという野暮なことをしてしまうが、お酒が好きだとか、人と話すのが好きだからといった動機がある。でも中には、その奥底に小さな逃避の要素がある人も、いるんじゃないだろうか。些細な逃亡は慰安なのだ。誰も日常の自分を知らない場所で初めて息がつける感覚。

もしわたしが意外な場所にアパートを借りているのを見かけたとしても、そっとしておいてください。

『めまい』(58年)

『めまい』

監督:アルフレッド・ヒッチコック
音楽: バーナード・ハーマン
出演:ジェームズ・スチュワート/キム・ノヴァク/バーバラ・ベル・ゲデス

監督はスリラー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック。女優のキム・ノヴァクがマデリンとジュディという二役を演じている。この映画は物語を要約しようにも、なにか混乱をきたしていて非常にまとめるのが難しい。そのめまいのような混乱こそが、本作の魅力なのだが。

主人公のスコティは、高所恐怖症によるめまいに襲われるようになり、警察を辞職する。彼の元へ古い友人のエルスターが現れ、妻マデリンの調査を依頼していった。最近の彼女は何かに憑かれたかのような、不可思議な行動を取っているらしい。スコティはマデリンを尾行するうちに、彼女の曾祖母カルロッタの存在を知る。マデリンは曾祖母にとり憑かれているのだろうか。なおも尾行を続けるうち、マデリンは彼の目の前で突如海へと入水自殺を図った。彼女を救出したスコティは、次第にマデリンと恋に落ちていく。

後半で、マデリンにそっくりなジュディという女性が現れる。スコティは彼女にも惹かれるのだが、その愛はいびつだ。スコティのジュディへの態度は常識から外れており、この映画にはどこに正常さの軸を置けばいいのか、わからない寄る辺なさを覚える。まさに「別の人生」を描いた映画ながら、息苦しく奇妙な魅力をたたえた作品だ。

『顔』(00年)

『顔』

監督:阪本順治
脚本:宇野イサム
出演‏ : ‎藤山直美/豊川悦司/國村準/大楠道代/牧瀬里穂

阪本順治監督が藤山直美を主演に迎え、福田和子事件をモデルに描いた作品。女の逃亡劇として、福田和子を超える存在は今後もなかなか出てこないと思う。映画はひきこもりだった女、正子が発作的に殺人の罪を犯し、逃亡生活を送るさまを描く。この藤山直美が演じる正子は素朴な力強さと純真さを持っている。引きこもりから一転し、生まれ変わったように生きること=生活することへ執着を見せる姿は、問答無用な迫力を持っている。

福田和子の生き方や賢さも、映画で描くにふさわしい大物感があった。金沢の和菓子屋で内縁の妻に収まっていたあたりの逸話と、警察から間一髪で逃れた逃亡劇のさまは、本当に小説などの創作さながらの世界だ。

お若い読者の方はご存知ないかもしれないので、女の犯罪者のドラマティックさを持った福田和子事件は調べてみていただきたい。それと、彼女が若い頃に刑務所内で強姦被害を受けた、松山刑務所事件というものがある。この女性に無力感を与える出来事は、福田のその後や逃亡に影響を及ぼしているかもしれない。こちらも検索してみてほしい。

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

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ライター紹介

真魚 八重子
映画ライター
映画評論家。朝日新聞やぴあ、『週刊文春CINEMA!』などで映画に関する原稿を中心に執筆。
著書に『映画系女子がゆく!』(青弓社)、『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言』(Pヴァイン)等がある。2022年11月2日には初エッセイ『心の壊し方日記』(左右社)が発売。
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