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真魚 八重子「映画でくつろぐ夜」

真魚八重子「映画でくつろぐ夜。」 第20夜

Netflixにアマプラ、WOWOWに金ロー、YouTube。
映画を見ながら過ごす夜に憧れるけど、選択肢が多すぎて選んでいるだけで疲れちゃう。
そんなあなたにお届けする予告編だけでグッと来る映画。ぐっと来たら週末に本編を楽しむもよし、見ないままシェアするもよし。
そんな襟を正さなくても満足できる映画ライフを「キネマ旬報」や「映画秘宝」のライター真魚八重子が提案します。

■■本日の作品■■
『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)
『ミッドサマー』(2019年)

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

旅行と映画

 わたしは小さい頃から旅行が苦手だった。元々虚弱体質で病気がちだったため、観光地を移動し続けるのが体力的にハードすぎたのだと思う。おまけに生まれつきとても神経質だった。気が付くと、子どもながらにストレスで自律神経がイカれてしまい、旅行のたびに体調を崩すようになってしまった。(病気になったら迷惑をかける)という気負いが大きすぎて、その不安でよけいおかしくなってしまうのだ。

 古い記憶にあるのは、家族と父の会社の人たちで、車に分乗しキノコ狩りに行ったときのものだ。わたしは出発日になって痰が異常に出る咳が止まらなくなった。両親はせっかくの小旅行なので、連れていけば途中で回復するのではと考えたのだと思う。しかしあまりにオッサンぽくタオルへ痰を吐き続けるので、わたしの乗った車だけ途中で引き返すことになってしまった。一度そういう目に遭うと、(また次の旅行でも失敗してしまうんじゃないか)と気に病み、本当にその通り体調を崩すようになるのだった。

 岐阜の下呂温泉に行ったときも発熱して寝込んだ。旅館で横になっていると、そばにいた両親には呆れたような空気が漂っていた。また、旅行中は普段食べない郷土料理を食べようとするから、初めて食べたとろろそばでかぶれたりした。顔が痒くてカンシャクを起してしまったのをうっすら覚えている。

 子どもながらに心の病気だったなと思うのは、災難が異様に怖くてほとんどオブセッションになっていたことだ。大型客船が転覆するパニック映画『ポセイドン・アドベンチャー』を観てしまったせいで、瀬戸内海を船で渡るときに本気で怖くなってしまった。広島から愛媛に向かう間、小さな島を指さしては父に「わたしがしがみついた状態で、あそこまで泳げる?」とずっと尋ね続けていた。旅行というのはわたしにとって、そういった恐怖が積み重なったものだった。

 高校の九州を一周する修学旅行も緊張で連日眠れないし、移動や行事で体力が奪われてヘトヘトになった。途中、大分の地獄めぐりでは辺り一面に立ち込める硫黄の臭いで気分が悪くなり、立ち止まって泣き出してしまった。みんながビックリして振り返った顔は忘れない。クラスメートは楽しく旅行しているのに、わたしだけ逃げ出せない苦行のようになっていて、ああわたしは喜べないつまらない人間だと思った。

 そんな調子なので、旅行の出発前は憂鬱になってしまう。小学6年生のとき、やはり家を出る時にわたしがあまりに不機嫌で、母とけんかになった。玄関で無理やり急きたてられて靴を履いたものの、その時に何か変な感じがした。気にはなったが、空港に向かうタクシーの中でも、何をするのも億劫でずっと黙って仏頂面をし続けていた。しかし空港に着いてやはり違和感が拭えず、靴を脱いで振ってみたら、ペタンコになった巨大なゴキブリがパラリと落ちた。広々した空港のフロアで、異彩を放つ黒い巨大な虫の死骸。大のゴキブリ嫌いなわたしに起こったアクシデントを、母は滑稽だと思ったらしく声をあげて笑った。けれどもわたしはゴキブリへの恐怖より、これから旅行が始まるという憂鬱さが勝っていたし、心配ではなく面白がる母にイライラした。なので、わたしの驚愕と恐怖のリアクションを待つ母に「ああ、なんでもない」とだるく言って、半ば無視して靴を履き直した。

<オススメの作品>
『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)

『ポセイドン・アドベンチャー』

監督:ロナルド・ニーム
出演者:ジーン・ハックマン/アーネスト・ボーグナイン/レッド・バトンズ/キャロル・リンレー

 70年代にはパニック映画が一世を風靡した。その中でも、高層ビルの火災を描く『タワーリング・インフェルノ』(72年)と本作は、多くの人にトラウマを与えた。大晦日の夜、パーティーが行われる豪華客船が地震の津波によって転覆。この惨事によって大多数の乗客が死亡するなか、生き残った者たちが脱出を試みる物語だ。巨大な船内にいたら、船が今どのような状態になっているかを把握するのは難しい。子どもの頃に本作を観て、どこに向かえば救助されるかを自分で判断するなんて、絶対無理!死ぬ!と絶望に襲われてしまった。浸水した場所を泳いでくぐるシーンも怖かった。

『ミッドサマー』(2019年)

『ミッドサマー』

監督:アリ・アスター
出演者:フローレンス・ピュー/ジャック・レイナー/ウィル・ポールター/ウィリアム・ジャクソン・ハーパー

 話題になった映画なのでご覧になった方も多いかもしれない。アメリカの大学生たちが、交換留学生の故郷であるスウェーデンの夏至祭に招かれる。色とりどりの花で彩られた美しい祭り。彼らはただ旅行とフォークロアの研究のつもりだったが、徐々にその奇祭に囚われていく。不思議な風習を見せられるのは、ざわざわと心にさざ波が立つので、ある意味一気呵成に襲われるより怖いかもしれない。周囲で何が起こっているのか、人々は何が目的なのかが「わからない」状態は、「わかる」状態よりも未知の不安によって心を蝕むのだ。

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

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ライター紹介

真魚 八重子
映画ライター
映画評論家。朝日新聞やぴあ、『週刊文春CINEMA!』などで映画に関する原稿を中心に執筆。
著書に『映画系女子がゆく!』(青弓社)、『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言』(Pヴァイン)等がある。2022年11月2日には初エッセイ『心の壊し方日記』(左右社)が発売。
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