樹の恵本舗 株式会社 中村 樹の恵本舗 株式会社 中村
ONLINE SHOP
MENU CLOSE
coverseason2

「おつかれ、今日の私。」Season2

東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。

おつかれ、今日の私。 vol.18

ラブコメ映画が好きだ。なにも考えずに楽しめる娯楽作品に救われる夜はある。観終わったあと、なんとなくしあわせな気分になれるところもいい。ラブコメ映画はいつだって、だいたいヒロインがしあわせになって物語が終わるのだ。

いつの時代のどの作品を観ても、ラブコメ映画には「で、あなたはいまの自分が本当にしあわせだと言える?」と問いかけてくるようなテーマやセリフが多い。現在の生活におおよそ満足しているであろう観客にも、敢えてそれを尋ねてくるようなところがある。で、私はまんまと考えてしまう。こっちの答えが出る前に、たいていヒロインがしあわせになって、私は便乗してしまうのだけれど。

先日、男友達にこの話をしたら、「僕は自分がいましあわせかどうかなんて逐一考えない」と言われて驚いた。慌てて周囲の男たちにも尋ねてみたら、「そんなこと考えたこともない」と異口同音に言うではないか。マジかよ。

えらくザックリした話で恐縮だが、現状がしあわせと言えるか否かについては、女のほうが敏感な気がする。敏感というか、センサーが過剰に発達している。少なくとも私は、どうにも気分が優れなかったり、不満が溜まっていたりすると「何かの理由でしあわせではない」と感じる。どうにかしなきゃと思う。

愛も情もあるがしあわせではない、という状況に陥ったことにありありと気付いたとき、私はそこに留まり続けることはできなかった。前回のサクちゃんの話がズドンと胸に響いたのも、突き詰めていけば「しあわせになりたいか?」が最後に残る問いだという一文があったからだ。私はしあわせジャンキーだ。

しあわせジャンキーの私は、しあわせになりたくない人なんかこの世にはいないと思っていた。しかし、男友達の言葉を信じるならば、そもそも自分がしあわせかどうかを考えない人が、下手したら人類の半分くらいはいることになる。ワオ、それは想定外だったわ。どおりで元パートナーたちと話が通じない場面が数多あったわけだよ。

福山雅治は超ヒットソングのなかで「しあわせになろうよ」と歌っていたし、加山雄三だって「ぼかぁしあわせだなぁ」なんて言ってたから、あなたたちも自分にとってのしあわせとはなにか? いましあわせと言えるのか? を適宜確認しているとばかり思っていたのに。

すべての話には例外があるので、しあわせについて徹底的に考える男もいれば、そんなことはまったく考えない女もいるだろう。だが、女の周りには「若く見える」と同じくらい、「しあわせそうに見える服」やら「しあわせそうに見えるメイク」なんてトピックがゴロゴロ転がってる。結婚や出産は「女のしあわせ」と言われがちだ。女のしあわせは獲得してしかるべきものと、初めから社会で設定されているのだ。一方で、男性誌の表紙に「男のしあわせ」というフレーズを見た記憶は、ない。

そんな話を今度は女友達にしたところ、「そりゃ小さなころからそうだもの」と彼女は言った。彼女は男の子と女の子の母親で、読み聞かせる絵本の内容からして男女でかなり異なるそうだ。「男の子向け」「女の子向け」と、世の中が勝手に選り分けた選択肢にもかなり偏りがありそうなので、これが好みの話なのかスティグマなのかはわからない。

私が子どもだったころは「……しあわせに暮らしました。めでたしめでたし」が昔話のテンプレエンディングだった。お話のなかの女の子は、一難去ったあと、いつもしあわせになっていた。それがゴールだ。そういう話しかないものだと思っていた。

男児が主人公の話だってそう。桃太郎の話を聞いた子ども時代の私は、鬼を退治する行為より、それがもたらした村や家族のしあわせに価値を置いていたように思う。鬼退治はあくまで手段。目的ではない、と。

「男に迎えに来てもらわないと、女はしあわせにはなれない」という古めかしいテーゼを真っ向から否定したアナ雪だって、結局は自分のしあわせを希求することから逃れられていない。一方、ランボーやジェームス・ボンドや、コルレオーネ家の男たちはどうだろう。自分をしあわせにするものがなにかなんて、真剣に考えたこともなさそう。ああ、ボーイズムービーのたとえが古いな。マーベルやDCだと、どうなんでしょうね。

自分がしあわせか否かを考えずに生活できるなら、皮肉なことに、それはとてもしあわせなことだ。悩まずに済むから。と同時に、危ういことでもある。「人生がうまくいかない」なんてボンヤリした言葉でまやかされているけれど、それってしあわせではないってことだもの。不幸を認めないまま人生をうまくいかせることにシフトしてしまうと、しあわせからは遠ざかることもある。勝利としあわせは、必ずしも同義とは言えないからだ。

あ、ひとりだけいたわ。なにが自分をしあわせにするかに、とても敏感な男。とある総合格闘家の方がそう。勝負の世界に生き、他の追随を許さない唯一無二の男が「自分のしあわせ」については時に非情なまでに敏感で正直なのって、示唆的だ。だって、しあわせが彼をそういう存在たらしめているのだろうから。


Product

ライター紹介

ジェーン・スー
コラムニスト/ラジオパーソナリティ/作詞家
東京生まれ、東京育ちの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月〜木11:00〜)のパーソナリティを担当。
毎日新聞、婦人公論、AERAなどで数多くの連載を持つ。
2013年に発売された初の書籍『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)は発売されると同時にたちまちベストセラーとなり、La La TVにてドラマ化された。
2014年に発売された2作目の著書『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』は、第31回講談社エッセイ賞を受賞。

その他の著書に『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)、『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)、『私がオバさんになったよ』(幻冬舎)、脳科学者・中野信子氏との共著『女に生まれてモヤってる!』(小学館)がある

11月6日発売
最新著書『女のお悩み動物園』(小学館)
【特設サイト】https://oggi.jp/6333649
【twitter】:@janesu112
Ayumi Nishimura
イラスト
大学在学中よりイラストレーターとしての活動を開始。
2016年〜2018年にはニューヨークに在住。
帰国後も現地での経験を作風に取り入れ、活動を続けている。
【official】ayuminishimura.com/
【Instagram】:_a_y_u_m_1_/
【Twitter】_A_Y_U_M_1_
Back